「盲導犬は何があっても声をあげないように訓練されている」は誤解。全日本盲導犬使用者の会が緊急声明
盲導犬オスカーくんが刺された事件について、全日本盲導犬使用者の会が緊急声明。
事件の経緯
盲導犬オスカーくんが何者かに刺される事件が発生。
「盲導犬オスカーは刺された時に抵抗せず鳴き声ひとつあげなかった」事が話題となり、「盲導犬は痛みに耐える訓練をしている」等と情報に尾ひれがついてしまう。
「厳しい訓練(しつけ)をさせられて働かされる盲導犬がかわいそう」等、盲導犬を連れている視覚障害者が町中で批判される事案が発生。
それを受け、「全日本盲導犬使用者の会」がホームページで緊急声明を発表。
盲導犬を傷つける卑劣な行為を受けての緊急声明
3.国民に正しい理解・啓発を
一部報道において、「盲導犬は何があっても声をあげないように訓練されている」と言う論調がなされています。これを受けて、多くのユーザーが街中で「抑圧されて働かされる盲導犬は かわいそう」と言う厳しい言葉を浴びせられています。
実際にはそのような訓練は現在行われていません。もしもそのような訓練がなされているとするならば それは虐待と捕らえられても いたしかたないことです。
盲導犬は、生まれたその時から多くのボランティアや関係者、そして その生涯の大半を共に過ごす私たちユーザーから精一杯の愛情と良質な飼育環境を与えられ、人間を100パーセント信頼して生きています。だからこそ彼らは攻撃的行動に出たり、むやみに声をあげる必要はないのです。彼らは抑制されることにより声をあげないのではなく、人間を信頼しているからこそ声をあげないのです。
今回の犯罪は、こんなに純粋に人を信頼してくれている盲導犬を裏切る卑劣な行為なのです。
盲導犬が訓練によって我慢を強要されて働かされているような誤解を生むことを、私たちは望みません。伝えるべきは、「傷つけられても声もあげず けなげに働く盲導犬の姿」ではなく、「十分に身を守る術を持たぬ障害者と、そのパートナーを襲う卑劣な加害者の姿」ではないでしょうか?
今回の事件は盲導犬・視覚障害者は被害者であり全く非はないのは誰が見ても明らかです。
ましてや街頭で視覚障害者が批判を受ける謂れは全くありませんね。
全日本盲導犬使用者の会緊急声明の強い論調の背景
今回の事件を発端として「盲導犬(職業犬)のあり方」についての論議に発展したと言えます。
その中で発生した誤解を解くため「全日本盲導犬使用者の会」の緊急声明はとても意義がある行為だと思います。
しかし声明内容「盲導犬を傷つける卑劣な行為を受けて」の題名のように不必要なほど強い論調で語られている点が気になります。
『現状の刑法における「器物損壊」と言う言葉で、私たちのからだの一部とも言える盲導犬が1つの「物」として扱われてしまうことに、やり場のない思いを感じています。』
『盲導犬を傷つける行為は、共に歩く視覚障害者を傷つけるのと同じことです。
「動物の愛護及び管理に関する法律第44条」の厳格な適用を求めると共に、刑法における人間に対する傷害罪の適応や、身体障害者補助犬法により明確な厳しい罰則を設けるなどを含め、補助犬を傷つける行為に対する厳罰の法制化の検討を望みます。』
『盲導犬が訓練によって我慢を強要されて働かされているような誤解を生むことを、私たちは望みません。伝えるべきは、「傷つけられても声もあげず けなげに働く盲導犬の姿」ではなく、「十分に身を守る術を持たぬ障害者と、そのパートナーを襲う卑劣な加害者の姿」ではないでしょうか?』
動物を守るため、強い論調になるのは仕方ないですが「誤解を解く」趣旨より「政治的な声明」の意味合いが大きくなってしまっている所が少し残念ですね。
盲導犬のような職業犬は動物の意思とは関係なく人間の都合で使役されている側面はありますし、それを「かわいそう」と言う人たちの感情は否定できません。
しかし、人間にとって必要不可欠な存在であり、動物とのより良い付き合い方や、折り合いを模索し続けることが大切なのは言うまでもないですね。